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日本の春は、やっぱり、桜だ!

1ドルが153円という歴史的な円安を記録したが、これは1990年6月以来だと言う。円安の功罪はいろいろあろうが、日本の弱さを体現している指標には違いない。GDPも昨年はドイツに抜かれ4位となり、インドが迫ってきた。失われた30年という言葉も定着し、外国人研修生には日本は、見向きもされなくなっている。
感覚的に日本の状況を思い浮かべてみて、先進国のイメージはすでにない。戦後の復興から奇跡的な発展を経て高度成長に突入し、ものづくりにおいても「大国」を謳歌したが、そんな時代は遠のいてしまったのだろうか。
確かに、ものづくりにおける今世紀に入ってからの中国の台頭には目を見張るものがあり、自動車に見られる量産分野のみならず、レンズなどの微細精密分野における質的向上においても大躍進を遂げている。世界の工場と言われ、各国からの技術が集積、活用され、自国に海外からのマンパワーとともに技術を吸収、発展させてきた点は無視できないだろう。
生活スタイルを一変させた携帯電話だが、その進展にはワールドワイドでの連携を抜きにできない。直接の着想と行動力はアメリカや韓国だったりするだろうが、製造や需要に目を向けると、たくさんの国々が関わりを持っている。そこには複数の企業による研究開発、企業買収、ボーダーレスの人材教育といった、一国に留まらない、垣根を超えた取り組みがある。
日本の技術力は喪失してしまったのではなく、活かしていく方法に行き詰ったのだと考える。自動車、航空機、医療、半導体、IT・・・これら部品加工の技術的レベルで、世界を牽引する領域は、まだまだ広がりを持ち得ているのではないだろうか。
ワークの小型化、精密化、多機能化に対応する技術力は、他国に劣るものではない。事実、精密・微細に関わる加工では、台湾を筆頭に日本を師と仰ぐ国は多い。
これからの日本のものづくりは、日本だけのものづくりに留まっていては前進がないのだと思う。少子高齢化における技術継承は、人材不足を挙げるだけでも困難を極めてくる。日本で蓄積してきたものづくり分野における宝物は宝物として受け継ぎつつ、受け皿として、日本だけではない、ボーダーレスの世界に活路を見出していけるよう、行動していくことが重要になってきたように思う。