碌々産業が創立120周年記念式典挙行。「矢野新経営陣」体制も発表、150人の参加者とともに祝う

碌々産業株式会社

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「『お客様の困った』を解決する、あり方を追求し120年」(野田会長)

碌々産業の創立120周年記念祝賀会が7月7日、都内のホテルで開催され、碌々ユーザーをはじめ、日工会会長ほか、関係者およそ150人がお祝いに駆け付けた。以下、時系列に沿って、言葉を紡ぎ、紙面化する。

 冒頭、挨拶に立った野田謙一会長は「私の祖父が創業者。お客様の困ったことを解決する、それがあり方だと説き、その精神を抱きつつ、120年の歳月が流れた。わたし自身、この20年、30年が今、走馬灯のように蘇ってきている」と、創立から120年を迎えた実直な感想を語り、海藤社長は「6月16日に創立120周年を迎えさせて頂いた。これを機に、トリップメーターを『ゼロ』にリセットして、200年企業を目指していきたい」と決意を新たにする。
 来賓祝辞でファナックの会長でもある稲葉日工会会長は「世界的に見ても創立120周年は快挙と言うほかない。ものづくりから事づくりへの移行は、微細加工機に結実し、野田家3代で海外に勝る技術を確立。その伝統は海藤社長に引き継がれ、さらに加速している」と賛辞を呈した。
 碌々産業の社名の由来は「公等碌々、所謂因人、成事者也」と言う漢詩から引用され「個人の力と個性が結集し、そして刺激し合い、初めて大きな力と成り得る」との意味が込められている。
 1903年に輸入商社として出発し、その後、戦後特需の中で1968年には、国産初のNCボール盤を開発、商品化。そして1996年には、現在の碌々産業に連なる「MEGA360」という微細加工機を誕生させた。
 「だが・・・」と海藤社長は補足して「2年間、まったく売れなかった。だが、微細加工用の工具が開発、リリースされるに及んで需要を刺激、次第に微細加工に向けた環境が整っていくなかで、販売に結実していった」経緯を説明した。
 現在、微細加工機は、5シリーズがラインナップされ、この分野のリーディングカンパニーとしての志向をさらに加速させている。
 微細加工機の要諦は、構造体はもちろん、ボールねじやクロスレールなどの重要な周辺機器にも高剛性仕様に配慮すること、振れのない主軸を追求すること、熱対策を徹底すること-にまとめられると言うが「なかでも、キサゲ作業は、最も重要視する工程となる」。
 昨年のJIMTOFでは、機上にワークを取り付けたまま、加工から洗浄、3次元測定、補正プログラムの作成、追い込み加工まで対応する業界初のシステム「COSMOS」が披露されたことも付記したい。
 微細加工では、その途上にたくさんのパラメーターが広がっており、オペレーターが経験と勘、知識を総動員しながら、感性を駆使していく。まさにアーティストの領域に比肩するレベルであり、碌々産業では「エキスパート・マシニングアーティスト」としてリスペクト。その対象者が100人に達している。
 碌々ユーザーで構成する碌々会会長である株式会社アヅマの清水社長は「まさしく継続は力なり。120年前と言えば、ライト兄弟が飛行機を飛ばしたエピソードに思いを馳せる。今後も、150年、200年に向けて頑張っていただきたいと思う」との激励の言葉を贈った。
 これで式典は幕を閉じる、誰もがそう思った次の瞬間、6月26日付で決定したと言う新経営陣の発表、10月から社名を「碌々スマートテクノロジー」に変更するというビッグニュースが飛び込んできた。
 新経営陣は矢野社長、鈴木技術本部長、岩田営業本部長、油井充管理本部長という陣容で、野田名誉会長、海藤会長がバックアップしていく。7月7日は、創立120周年を記すとともに、次代を担う体制のお披露目ともなった。

「トリップメーターをゼロに-リセット。200年企業-目指す」(海藤社長)
「トリップメーターをゼロに-リセット。200年企業-目指す」(海藤社長)

「野田家3代で海外に勝る技術-を確立。海藤社長が引き継ぎ、-さらに加速」(稲葉日工会会長)
「野田家3代で海外に勝る技術-を確立。海藤社長が引き継ぎ、-さらに加速」(稲葉日工会会長)

「まさに継続は力なり。150年、-200年に向けた歩み、今後とも」(株式会社アヅマの清水碌々会会長)
「まさに継続は力なり。150年、-200年に向けた歩み、今後とも」(株式会社アヅマの清水碌々会会長)