10月から「碌々スマートテクノロジー」に社名変更
メカトロテックで「デビュー」
取材に応じてくれた海藤会長(左)と矢野社長
今年の7月7日、創業120周年を迎えるなかで、新経営陣の体制を整え、社名も10月から碌々スマートテクノロジーに変更して、次なる世紀に向けて新たなスタートを切った。将来に向けたビジョンはどうなのか。本紙はメカトロテック会場に、海藤会長、矢野社長を訪ね、改めてその方向性を取材した。
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海藤会長による「弊社には、機械産業がスタートした100年前に、日本の工業化に関わったパイオニアとしての自負がある」との言葉を接いで、矢野社長は「微細加工に関わるソリューションカンパニーのあり方をさらに追究していく。まず、顧客へのソリューションありきであり、機械以外の技術を組み合わせた提案にも留意していきたい」との抱負を語る。
インナーブランディングという言葉が提示されたが、一層の前進を図っていくには、文字通り、社内において、微細加工に関わるソリューション企業としてのベクトル合わせが重要になってこよう。
矢野社長は「(客先の)困りごとと言うのは、ニーズの前のテーマであり、それを見極めながら、対応していくことが解決へと向かわせる。結果、機械の客先仕様のカスタマイズ化が進んでいくことになる」。
今期の上半期は、微細加工の世界でも需要が冷え込んだ。
「中国景気の減速の影響は大きく、注残で食いつないできた環境下でもあった。コロナ禍では、パソコン、タブレットといったリモートワーク需要が発生、3年間は需要のけん引役を担ってきたが、今は、落ち着きを見せている」と海藤会長。
だが、3月から冷え込んでいた半導体産業からの引き合いが、再び、発生してきており 「AIに関連した需要が動いてきた。メモリー価格が底打ちするなど、潮目にも変化が表れてきたと思う」。
ところで矢野社長は創業から数えて5代目の代表になると言う。
「2年前に打診された。社長になれば、ソリューションを掲げて歩んできた自分のフィールドも広がる。躊躇はなかった」と矢野社長。
「だが、客先の困りごとの解決には、我々自体の営業技術力アップは不可避。10月1日付でお客様の困りごとに対応する技術相談室を設置した」と言う。
矢野社長は東洋大学で機械工学を専攻後、2001年に当時の碌々産業に入社。
「営業としての振り出しは名古屋だが、大阪との掛け持ちが始まって以降、顧客のニーズを具体化していくスタイルが定着していった」と振り返る。
碌々スマートテクノロジー!
何回かハミングしているうちに自然に口を衝いて出てくるようになってきた(笑)。
メカトロテック出展機を入念にチェックする来場者