創業100周年迎えたYKT
技術をレベル上げ、顧客満足度向上を今後とも追求
柳社長
ものづくりを支えるYKTが、創業100周年を迎えた。
欧米の優れた工作・産業機械を輸入し、電子部品実装機の国内販売と輸出を行う、機械専門商社としての実績をベースに「100年を受け継ぎ、100年を切り拓く」という、次代への意思をすでに表明している。
7代目となる柳社長は「私は在職40年以上になるが、景気にはいい時もあれば、悪い時もある。現状は後者かも知れないが、技術商社としての技術力レベルを上げ、顧客満足度向上を今後とも追求し続けたい」との考えを明確にする。
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創業からの主な歩みをなぞってみたい。
創業者の山本敬蔵とドイツ系商会で勤務していたルードルフ氏の出会いが山本商会設立のきっかけとなった。彼は、第一次世界大戦の青島の戦いで捕虜となり、徳島の板東俘虜収容所に収容され、その後日本に残りカーティング商会で機械部長として勤務していた。1924年、東京は築地に山本商会を設立。カーティング商会が抱えていた多量の在庫を売り尽くしたことで、輸入はカーティング商会、販売は山本商会の体制が確立された。
1933年には輸入代理権を獲得し、大阪支店を開設、名古屋と満州国の奉天(現:瀋陽市)にも出張所を設立した。
第2次世界大戦によって、機械の輸入販売の中断を余儀なくされると、小金井に工場を設立し、輸入機を利用して精密工具の製造を開始した。主に海軍向けに機関砲の砲身用螺旋ブローチ、機関銃の薬室リーマ、栓ゲージを納品した。戦後の1949年から工作機械の輸入販売を再開し、小金井で精密工具を製造していた別部門は、空圧および油圧機器の総合メーカーである株式会社コガネイとして現在に至っている。1960年代に入ると、国産工作機械の性能が大幅に向上。1967年には、小田急沿線の代々木八幡駅前に移転し、社名を山本機械通商に改名するとともに、国内事業部を創設し、国産工作機械の国内販売と輸出をスタートした。
1977年以降は、切削工具、測定、エレクトロニクスといった業界向けの商材と出会い、新たな顧客と絆が結ばれていく。
工具研削盤のワルターを通じて、切削工具業界と繋がりができ、「工具ツアー」を81年に企画。ワルターをはじめ、タップねじ研削盤のユンカー、ロロマティックの前身であるマイクロドリルのポイント研削盤ロリエといったメーカーを訪問した。因みに現在の輸入機械の主力製品ロロマティックの前身ロリエとは、このツアーを契機に総代理店契約を結んでいる。
また、82年には九州松下電器の表面実装機の製造開始に伴い、販売代理店となり、エレクトロニクス機器の販売を開始。販売好調を受け、仙台、長野、福岡に営業所を開設。さらに、台湾に駐在所を開設し、中華圏進出。現在はパナソニックコネクトとして取引を継続している。測定の分野では、83年からアメリカのOGP社製のビデオカメラ式測定機の取引をスタートさせている。
「拡張期」の起点となった2001年には、日本証券業協会に株式の店頭登録(現:東証スタンダード)を果たし、翌年の2002年には、現在のYKTに社名変更。上海、ドイツ、台湾、タイで次々と現地法人を設立し、海外拠点を増やすとともに、大阪支店や東京本社の新社屋を竣工させていった。
そして2020年には、半導体実装装置の開発に着手。半導体実装業界に本格的に参入していくことになる。
柳社長は「私の入社してからの経験で恐縮だが、30年前のバブル崩壊が一番、社業としては厳しかった。今年も決して楽観できないが、顧客へのサービス提供は怠らない。たとえば、ロロマティックからは、日本に6週間、専任スタッフが滞在し、時間を見つけては弊社スタッフの技術指導に当たっていただく。そうして、お客様に導入頂いた機械性能を100%引き出していただけるよう、弊社がサポートしていく」。
創業100周年は、容易く迎えられるものではない。次代に向けた新たな一歩が2024年から始動する。期待したい。