ユキワ精工ツーリングユーザー、日本刃物(山形・米沢市)
佐藤常務は、部品加工部門を軌道に乗せた「張本人」だ
日本刃物のルーツを辿れば1591年にまで遡ると言う。
大友社長によると「田畑を開墾していくための、農業用刃物に従事する鍛冶職人だったと伝え聞いている。江戸時代は、名字帯刀を許され『大友』を名乗ることができた」そうだ。
創業という点で捉えれば1932年、法人化されたのは1942年、現社名に変更されたのが1962年と、時代の変化とニーズへの対応を組織形態や社名にも反映させ、社史を刻んできた。
「弊社にとって、大きな起点となったのが、2000年以降からで、樹木や紙の裁断、プラスチックほか、芝刈り機用の刃物づくりなど、長年、手がけてきた分野の需要は『円熟期』に入ったと判断、部品加工業を将来の柱にしていく構想を描いて進んでいくことにした」と大友社長は言う。
加工業という新たな分野をスタート、確立させていくために、真っ先に確保しなければならないのが人材だろう。2000年に、現在、現場を指揮する佐藤常務をヘッドハンティングし「加工チーム」が発足。印刷機械用部品から着手することになる。
佐藤常務は「加工専任は2、3人で、機械設備と言えば、日立精機のNC旋盤2台とマシニングセンタ1台。測定機はなかった」と発足当初を振り返りながら「2年後には、チップマウンターや建機、真空ポンプ、半導体関連と、受注する部品加工の領域が拡大していった」と語る。
特に当初から手がけてきた印刷機械関連分野は、2007年~2008年がピークを迎え、社内シェアで7割を超える勢いに。
「だが、その後のリーマンショックによって、印刷機械分野は4分の1にまでの縮小を余儀なくされ、売り上げは大激減。教訓として、需要先は特化せず、幅広い業界と付き合う必要性を痛感した」と言う。
現在、部品加工は売り上げの6割を占めるまでに成長し、加工チームは16人、2直体制を敷いている。
「機械設備は総数で30台くらい。キタムラ機械のマシニングセンタがメインで、50番主軸、角スライド、高剛性と言う基準で選定、コスパも高い。被削材のほとんどが鋳物で、形状的には、長尺物が多い」。
ユキワ精工のスーパーG1チャックとの出会いは、取引企業からの紹介で、6、7年前になるそうだ。
「リーマ加工で振れの調整が難しく、給油が課題に挙がっていた。ユキワ精工の営業の方に来ていただき、説明受けたが、振れ調整ができて、給油はセンタースルー方式との2点が導入のポイントになった。試してみると、突き出し量が長くてもビビらず、しかも面粗度が高い」と佐藤常務は評価する。
スーパーG1チャックは、キタムラ機械主体に総数で300本の活用に至っている。
オペレーターの青柳課長は「とにかく剛性の高さを実感する。工具の長寿命化の点でも寄与しており、バルブの加工で1カ月に250個手がける場合があるが、刃持ちは従来に比べ1・5倍に伸びている」との実態に触れてくれた。
昨年からユキワ精工の部品加工も受託
最後になるが、日本刃物では、昨年からユキワ精工に関連する部品加工を手がけるようになっている。「ご縁」とは実に奥深い。
設備の要を成すキタムラ機械のマシニングセンタ
オペレーターの青柳課長