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パシフィコ横浜から臨む桜木町界隈

1月も、あっと言う間に過ぎ去って、2月も下旬に差しかかった。3月決算の多い日本企業にとっては、駆け込み的な需要も発生するなか、売り上げ数字の確保に奔走する日々が続いている。
だが、工作機械の1月受注分は、1100億円と、出足はパッとしない。2024年の1兆5千億円という目標から見ても低調と言わざるを得ない。一線で活躍する現場の方の感触はいかがなものだろうか。2月に入り、実需との関係で需要が動き始めたのは間違いない。
話は変わるが、能登地震の被害が継続するなか、賀詞交歓会以降の会合では、テレビ、新聞などメディア以外の、個々の人からの情報が引用されるケースも増えてきて、新聞に身を置く者として、その会合に何となく「居づらさ」を感じるようになってきた。提供者は俄かに特定しがたいが、速報性では、現場に居合わせた人から発信される内容が最新のもの。まさにニュースに違いない。
この点で、携帯電話に取り込まれた画像が持ち主のコメントと抱き合わせられて駆け巡り、情報の早期キャッチと言う切り口では、新聞、雑誌はもちろん、テレビ、ラジオの出番さえ遠のいてしまう。多くの人がメディアになり得る、そんな時代に我々は遭遇していると思う。このことが前述の「居づらさ」と関係しているように感じるのだ。
情報を得ようとするググると言う行為が、かつての辞書を引くことと同義語になっており、しかも、辞書と違って、携帯電話は最初から持ち歩くことが前提とされているため、極めて便利だ。便利この上ない。ただ、情報を得ると言うことと、得た情報をもとに考えると言う行為は違うものであり、新聞は手に取りながら、読み手に考えを促すものと筆者は考えている。
情報を早期に入手するメリットは、それをもとに、次はどうするかと言う、行動を促す点にあると思う。情報は活かしてこそ、活かされてこそ、価値が増してくる。デジタルの進行する時代ゆえに、人との交流の大切さが身に染みて、リアルの良さが従来よりも一段高い場所から体感できるようになってくる。新聞が不要になってきたのではなく、役割が変化してきた、そう、感じている。
今年はJIMTOF開催の年であり、生産財マーケットの最先端技術・製品の披露が期待される。どう伝えていくべきか、我々新聞人も精進していかねばならない。